【ひなたのこども】第14回 約束を破ってしまった

ぴよとの約束を破ってしまった。

寂しさ悲しさは細胞の記憶として一生を支配するような気がして、怖い。

ごめんね、ぴよ。

「細胞の記憶」

先日、夜寝る前に、ぴよがすごろくを持ってきて、「明日これ一緒にやろうね」と言ってきました。

とんが昼寝している間か、DVDでも見ている間にそーっと抜け出して1回ぐらいできるだろう、と思い「そうだね。明日やろうね」と約束。

でも実際は無理だった。
とんは最近一段と甘えっこで、ちょっとでも私の姿が見えないのに気が付くと大泣き。
もちろんすごろくなんかはすぐにグチャグチャにしちゃうから、一緒にはできないし。

ひろさんもいる休日だったので、結局ひろさんと2人でやってもらいました。

「パパと2人でやってくれる?」とぴよに聞いたら最初は「嫌だ。」と言ったんだけど、
とんにすごろくを荒らされ、そっちのほうがすごく悲しかったようで「いいよ。」と言い直しました。

ごめんね。
ごめんね。
また約束が守れなかった。

後から私が「ごめんね」と言ったら、「いいよ。」とさらっとしていました。

でもね、こういうのって、細胞の記憶に残ることを私は知っている。

脳の記憶は、都合よく忘れたり、ふとした瞬間に部分的に思い出したりするけれど、細胞の記憶は思い出さない。
だけどその人を作っている。
そんな気がします。
(科学的なことではなく、私の主観です)

私自身。
「お母さん、こっちを見て」
と訴える細胞がある。
たぶんその細胞たちが、これまでの苦しかった体験〜摂食障害や父への壮絶な嫌悪など〜を産みだしていたのでは、と思っています。
(それについては、書ける時期がきたら書きます。
または、ちょこちょこ話題に絡めて小出しにします。)

ぴよは、今回私が約束を破ったことはすぐに忘れてしまうでしょう。
この先同様のことがあっても、今回のように私をさらっと許してくれるでしょう。

でも、細胞が悲しみ、それを記憶し、後々ぴよの体を作っていき、私のように蝕まれてしまったら・・・・・
そんなことを考えると怖くてたまらないのです。

ぴよは子供のころの私と違って、笑顔で「ママ大好き」と言ってくれるから、それに甘えて「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせている。

でも、ぴよの寝顔を見ているときとか、ぴよを感情的に怒ってしまったときとか、
日常のふとした瞬間に、大丈夫が揺らぎ、恐怖が襲うのです。

私が娘の奥底にインナーチャイルドを埋め込んだ気がして、もう取り返しがつかないような気がして、怖くて怖くてたまらない。

ぴよ、本当にごめんね。